ゾウのいた越路町

渋海川足跡化石の研究グループ著
越路町教育委員会/1994
冊子の表紙絵(裏)冊子の表紙絵(表)

発刊によせて

 100万年前の越路町にはゾウやシカがそしてウシの仲間がすんでいました。このこと自体は、それほど珍しいことではないでしょう。しかしながら、その証拠、つまり「化石」が残っているかどうかということになると、日本全国でも非常に珍しいものです。この珍しい足跡化石が、渋海川の塚野山あたりの川岸には、数多く残されています。
 ただ、この「化石」が残っているだけでは、まだ「珍しいものが残っている」というだけのことです。そのままでは意味も価値もありません。それを発見する人がいて、次にはそれを鑑定する人がいて、さらに、これを調査したり報告したりする人々がいて、ようやく「化石」は、意味のはっきりしたものになります。また、みなさんにも知っていただき、関心をもってもらうことで、価値の高いものとなっていくのです。こうしてさまざまな分野からの研究が進んだり、多くの方々から知ってもらうことによって、「化石」は、ただの珍しいモノから、全国に誇れる大切な資料となります。  
 越路町に足跡化石や、ゾウの歯の化石があることは、今から30年ほど前からわかっておりましたが、このたび、渋海川足跡化石の研究のグループのみなさんの調査によって、いよいよくわしいことがわかってきました。その調査は真夏の炎天下の中、3年間3次にわたって行われました。その調査の報告書を、中学生向けにまとめ直したものが、本書『ゾウのいた越路町』です。前に述べたように、本書ができあがるまでには、多くの方々からのご指導やご協力をいただきました。ここで厚くお礼を申し上げます。
 また、みなさんも、本書を楽しみながら読んで下さい。少しずつでも読んでいくと、読めば読むほど、おもしろい内容であると思います。そして越路町の100万年前をいろいろ想像してみて下さい。その想像する力が、ますます越路町の足跡化石を価値の高い貴重なものにしていくのです。そうなっていくことを心から願います。

平成6年3月
越路町教育委員会教育長
山本順平


ゾウのいた越路町

渋海川足跡化石の研究グループ

1. 足跡化石の発見

 1965年(昭和40年)のこと、塚野山に住んでいた長谷川潤二郎(はせがわ じゅんじろう)さんは、近所の渋海川の川岸にでていた地層の表面に足跡の形をしたくぼみを発見しました。大発見と考えた長谷川さんは、当時、長岡市立科学博物館につとめていた考古学者の中村孝三郎(なかむら こうざぶろう)先生に知らせました。中村先生は、さっそく発掘調査を行い、この足跡の形をしたものが、ゾウやシカの足跡化石であることを明らかにしました。発掘の様子は、テレビや新聞で大きく取り上げられ、大変な騒ぎとなりました。
 しかし、そのころは、渋海川の足跡化石に疑問をもつ人も大勢いました。その理由は2つありました。1つは、足跡化石とみられるものは歐穴(おうけつ)なのではないかという見方です。歐穴は、小石や砂と流水の働きとによって、川岸の地層につくられた穴やへこみです。地層についた小さなきずや穴に小石や砂が入り、それらが流水で回転して、穴の壁をどんどん削って大きくしていくのです。甌穴は、足跡化石とそっくりなこともあります。もう1つは、そのころ、足跡化石のある地層が海の底に積もったものだと考えられていたためで、ゾウやシカなどの足跡が海底につくはずがないと考えられたのです。このように、渋海川の足跡化石は疑問に思う声もあって、最近まで、ふたたび大きな話題になることはありませんでした。
本物の足跡化石標本(長岡市科学博物館)





図1 足跡化石
足跡化石とよく似ている





図2 歐穴

2.見なおされた足跡化石

 1988年、琵琶湖畔に近い滋賀県甲賀郡甲西町の野洲川の川原で、大きな発見がありました。大雨に続く洪水で、野洲川の川原の砂利と地層が大きくはぎ取られてしまいました。すると、新しくでてきた地層に、無数の足跡らしいものがついていました。そして、この足跡らしいものには、はっきりと歩いていた様子が見られました。詳しい調査の結果、ゾウやシカの足跡化石だということがわかったのです。
歩いた様子がわかる


図3 野洲川の足跡化石

写真提供 滋賀県教育委員会,琵琶湖博物館準備室(仮称)
 翌年の1989年9月には大阪府富田林市石川から約100万年前のゾウやシカ、ウシ類の足跡化石、さらに、1990年3月には長野県野尻湖の湖底発掘で、約4万年前のナウマンゾウやオオツノシカの足跡化石が発見されました。
 野洲川の発見で、塚野山の足跡化石を見なおそうという声があがりました。そして、1990年8月に、県内の小・中・高校の先生や、大学の先生、それに、中学生、高校生、大学生、一般の人約40名が、渋海川足跡化石の研究グループをつくりました。さっそく、地元の人々や越路町教育委員会の協力をえて、調査が開始されました。そして、3年間にわたって調査が行われました。その結果、足跡化石のことや足跡が残されたころの様子がわかってきました。

3. 渋海川の足跡化石

 足跡化石は、塚野山の渋海川の川岸にでている地層の表面にあります。図の4のA、Bはその地点です。A地点は、小坂橋の下流430メートルの右岸です。B地点は、小坂橋の下流約80メートル付近の右岸です(グラビアTV)。
×印が発掘場所




図4 足跡化石がある地点
 足跡化石は、それを残したと考えられる動物の名前をとって、ゾウ型、シカ型、ウシ型の3つの種類に分けられました。ゾウ型は、約30センチメートルの円形や楕円形をしていて、指の跡が残っているものもあり、指の跡から動物が進んでいった方向がわかるものもあります。それに、前足の跡と後足の跡が重なっているようなものもあります。(グラビアWY−3、4、5、6、7、8)。
指のようなものも見られました。




図5 ゾウ型の足跡化石のスケッチ
いろいろな向きがあります


図6 A地点の足跡化石の分布図
(足跡化石の矢印は進行方向を示している。)
乾痕もあります


図7 B地点の足跡化石の分布図
(シカ型やウシ型の足跡が見られる。)
 シカ型は、船の形をしたへこみが2つ並んでいる形をしています。後の方がくっついているような形をしているものもあり、大きさや形がさまざまです。小さいものは長さ8センチメートル、大きいものは長さ20センチメートルぐらいもあります(グラビアX−1、2、3、4、5右、6Y−1、2)。  
 ウシ型はシカ型と似た形をしていますが、全体的に円に近い楕円形で、前のほうに切れこみがあります。長さ10〜20センチメートル、幅10〜15センチメートルです(グラビアX−5、7)。  
 A地点では、ゾウ型の足跡化石が55個、シカ型とウシ型の足跡化石が会せて61個発見されました。ゾウ型の進行方向は、はっきりしないものが多いのですが、中には歩いた方向がわかるものもありました。シカ型とウシ型で、進行方向がはっきりするものでは、北や北西に向かうものが多く見られました。  
 B地点からは、シカ型とウシ型が合わせて10個発見され、北西や南東、北に向かうものが見られました。

4.足跡化石を残した動物

 ゾウやシカの足跡化石があることがわかりました。では、越路町にゾウやシカが本当にいたのでしょうか。
 越路町の渋海川ぞいから、これまでに2つのゾウの歯の化石が発見されています。1つは、1957年(昭和32年)に竹内豊作(たけうち ほうさく)さんが鷺之島集落西方400メートルの渋海川の川原で発見しました(グラビアZ−1、2)。もう1つは、1964年(昭和39年)に、小林トシさんが十楽寺集落西方約500メートルの渋海川の川原で発見しました(グラビアZ−3)。この2つの歯の化石は、足跡化石が残されている地層とほぼ同じ時代の地層の中から、洗いだされたものだと思われます。歯の特徴から、ムカシマンモスゾウの仲間のゾウだと思われます。ムカシマンモスゾウは、よく知られているマンモスゾウの先祖だといわれています。
 シカ型やウシ型の足跡を残した動物は、どんな動物だったのでしょうか。
 約100万年前の日本列島には、原始的なオオツノシカやシフゾウ類、カズサジカ、カギジカ、ニッポンチタール、キュウシュウサンバー、シマバラジカなどのシカ類がいたことが知られています。決め手になるものはありませんが、これらの動物のいずれかが残したものであると思われます。

5.足跡化石が残されている地層

 足跡化石が残されている地層は、魚沼地方に広く分布する魚沼層と呼ばれる地層です。塚野山周辺の魚沼層の中には、地層が積もったのがいつごろかを決めるのに重要な火山灰層が2つあります。古い方の火山灰層は約130万年前、新しい方の火山灰層は約80万年前に積もったものです。足跡化石が残されている地層は、この2つの火山灰層の間にあるので、約100万年前に積もったものであることがわかります。
 渋海川足跡化石の研究グループは、足跡化石の残されている地層と、その周囲の地層をくわしく調査しました。また、地層にふくまれている化石を採集して、その種類を調べました(グラビアUZ−4、5、6、7、8)。
地道な作業です



図8 調査のようす
 渋海川ぞいの塚山鉄橋付近から小坂橋にかけて、崖をつくっている地層の砂や泥、砂利(礫)などの粒がどのような積もり方をしているか観察しました。その結果、塚山鉄橋付近の地層は、浅い海に積もった砂であることがわかりました。そして、その後しだいに海が浅くなり、内湾(ないわん)や潟(かた)に積もった地層となり、さらに、足跡化石が残されていた地層は、蛇行(だこう)した河川の周囲にできた氾濫原(はんらんげん)や沼地に積もったものであることがわかりました。
 足跡化石が残されていたA地点は、厚さ2〜5センチメートルの泥と砂が交互に細かく積もった地層でできています。この地層からは、ハスの葉や茎、淡水にすむドブガイと思われる化石が見つかりました。
 また、B地点の地層は、灰色の泥でできていて、植物片や木材の化石がふくまれています。また、乾痕(かんこん)と呼ばれる水田が乾いた時にできるカメの甲羅のような形のひびわれと同じものも見つかりました(グラビアU−6)。乾痕と足跡化石が一緒に見つかったことは、沼地が干上がった時に、足跡化石がつけられたことになります。

6.100万年前の越路町

 ゾウやシカがすんでいた100万年前の越路町は、どんなところだったのでしょうか。
 足跡化石とともにいろいろな化石が見つかっています。それらの化石から、その当時の様子を考えることができます。
 水にすむ微生物で、珪藻(けいそう)という植物があります(グラビアZ−6)。これは、海水や淡水のちがいや、水が流れているか止まっているかによって、すむ種類が異なります。珪藻化石を調べると、それをふくむ地層が積もった当時の環境がわかります。足跡化石が見つかった地点のものは、ほとんどが淡水で、池や沼のような流れのないところにすむ珪藻でした。
 また、池などにすむドブガイと思われる貝の化石も見つかりました。
 これらのことから、足跡化石が見つかった地層は、蛇行した川が流れる範囲に広がる沼地に積もったことがわかりました。
 植物の葉、幹、根、種子の化石や、花粉化石からは、その時に生えていた植物や気候の様子を推定することができます(グラビアZ−4、5)。
 植物化石は、樹木類では、マンシュウグルミ、ハマナツメの果実、エゴノキ、コナンキンハゼの種子、ヒシの実などが見つかりました。これらの中では、コナンキンハゼとハスが多く含まれていました。
こんな感じです

図9 100万年前の越路町の植物

<絵:早津 剛>
 花粉化石では、ハンノキが大変多く、カバノキ、クルミ、エゴノキ、ケヤキ、シナノキ、ニレ、カエデ、コナラ、ブナ、ナンキンハゼが多く見つかりました。また、針葉樹のマツ、モミも見つかっています。草花類では、ハス、オオバコ、ヨモギがありました。
 ハンノキは水辺を好む木で、山麓から平野まで、どこにでも生育できます。ハマナツメやコナンキンハゼは、暖かい地方に生育する木で、今よりやや暖かな気候だったことを示しています。
 地層の特徴や化石から考えると、100万年前の越路町は、海岸に近く、広大な湿地や沼地が広がり、ハンノキがしげり、エゴノキ、ブナ、クルミ、コナラなどの落葉広葉樹や、ハマナツメ、コナンキンハゼなどの暖帯の木が、明るい感じの林を点々とつくっていました。そして、遠くの山々には針葉樹が生えていたという風景が想像できます。
 このような風景が広がる越路町の大地に、日照りが続いて沼地が干上がった時に、おそらく何百回と、ゾウやシカなどの動物が、わずかに残された水を求めて訪れたのでしょう。
復元図を描いてみました

図10 100万年前の越路町

<絵:早津 剛>

7. あとがき

 越路町塚野山の渋海川の川原で見つかった足跡化石や、それが残されている地層、地層にふくまれている化石などを大勢で調査した結果、100万年前の越路町の様子がわかってきました。わかってきたといっても、まだ、ほんの一部にすぎません。また、この本を読んだ人、一人一人が思い描くイメージは、みんなちがっていると思います。この本をもとに、大昔の越路町の様子について、自由に思いをめぐらし、夢を大きくふくらませてほしいと思います。
 実際に、足跡化石がある場所に行ってみるのもいいと思います。その時は、川に落ちたり、けがをしたりしないように、十分に気をつけてください。また、足跡化石は、学問的に大変貴重なものです。むやみにたたいたり、こわしたりしないようにしてください。
 みんなの財産である足跡化石が、いつまでも渋海川の川原に大切に保存されることを願っています。

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渋海川の足跡化石について書かれているもの

阿部泰弘・堀川秀夫(1985)塚野山で発見されたゾウとシカの足跡化石?のなぞ―200万年前の足跡化石?が語る越路町―,新潟第四紀グループ編「大地から学ぶ越路町のおいたち(V)」越路町教育委員会,17−36.
亀井節夫(1989)滋賀県野洲川の足跡化石と越路町の足跡化石,新潟第四紀グループ編「大地から学ぶ越路町のおいたち([)」越路町教育委員会.99-109.
小林巖雄・渋海川足跡化石研究グループ(1992)渋海川の足跡化石と古環境の変遷―100万年前の越路町―,新潟第四紀グループ編「大地から学ぶ越路町のおいたち(])」越路町教育委員会,44-52.
中村孝三郎ほか(1968)蒼い足痕,長岡科学博物館考古研究室.
渋海川足跡化石団体研究グループ(1994)新潟県三島郡越路町塚野山,魚沼層産の足跡化石と古環境

この本をまとめた人

阿部泰弘(川口町立泉水小学校教諭)
栗田義隆(六日町町立六日町小学校教諭)
渡辺秀男(長岡市立大島中学校教諭)

渋海川足跡化石の研究グループ連絡先

小林巖雄 新潟県新潟市五十嵐二の町8050 新潟大学理学部地質科学教室気付
堀川秀夫 新潟県小千谷市城内3-3-1 新潟県立小千谷西高等学校気付
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